坂川を開いた先人と自然の恵みに感謝しましょう
江戸時代、水運と宿場で栄えた松戸の町では、毎年夏の盛りに「とうもろこし市」が立ちました。
元々は松龍寺境内「すくも観音」の縁日ですが、松戸宿の人々には夏の風物詩として時代を超えて親しまれ、今なお続く伝統の行事です。この地を流れる坂川もきれいな水を取り戻し、松戸宿ゆかりの行事を盛り上げて行こうとする地元の機運も高まりました。
とうもろこし市が立つ縁日には献灯が行なわれたという昔からの言い伝えにちなんで「献灯まつり」と名づけました。
坂川の流れに沿って多数の行灯や提灯を並べ、自然の恵みや坂川を開いた先人たちに感謝の気持ちを表す行事を催すこととなりました。昔からの「とうもろこし市」はもちろん、新たにとうろう流しや縁日屋台なども加えて、夏の夕涼みのひとときを多くの方に楽しんでもらおうと思います。
「川と歴史のある街」旧松戸宿一帯を散策し風情の残る街の再発見をお勧めします。
松戸宿を支えてきた坂川沿いに、およそ500mにわたって1000基の献灯が並びます。
古い街ならではの「なごみ」や「やすらぎ」「懐かしさ」を発見して頂きたいと思います。
昔の人達も日々の感謝の気持ちを込めて献灯をしたことに思いを巡らせてみましょう。
「すくも観音」「籾殻塚観音」の表記について
松龍寺観音堂に祀られる「籾殻塚観音」は、むかし松戸二丁目付近の水田に積まれた「すくも」(稲を脱穀した残りのモミガラなど)の中から示現したと伝えられ、その場所には現在「すくも稲荷神社」の祠があります。
古文書には「籾殻塚」の字が見られますが、現地ではこの漢字表記に関わらず「すくもかんのん」「すくもいなり」と呼ぶ例が多いので、この行事では「すくも」「すくもづか」の混在を容認し「籾殻塚観音」を「すくも観音」と表記しています。
献灯まつりの由来を詳しく
◆坂川の由来
坂川は、江戸時代中期に江戸川流域の新田の排水整備のため上郷(坂川上流)の名主、渡辺庄左衛門が国府台下までの掘削を計画したことに始まる。
上郷と下郷の長い対立と話し合いを経て、天保6年(1835)村々の協定により工事は松戸宿を縦断、翌年に栗山までの開削が完成した。
高低差の少ない場所に掘られたため流れが非常に緩く、江戸川とは逆方向に流れる
こともあったので「逆川(さかがわ)」と呼んだのが名前の由来とも言われる。
<年表>
西暦/和暦 | 出来事 |
1723 享保8 | 代官小宮山杢進が新田の排水路を現在の坂川水系の基本形に整備する |
1781 安永10 | 上郷(坂川上流地区)名主、渡辺庄左衛門充房が国府台下までの掘削を幕府に請願する ※以後、渡辺家は親子3代にわたり坂川の下流への開削事業に尽力する |
1784 天明4 | 「すくも観音」が松龍寺境内に移される ※この観音様の縁日が「とうもろこし市」の起源となる |
1801 寛政13 | 請願により幕府が現地視察するが下流側各村の反対もあり請願は保留となる |
1813 文化10 | 坂川が赤入樋門で江戸川につながる (樋門設置の請願は安永年間から15回ほど繰り返された) |
※ 樋門設置しても洪水予防に効果なし、さらに掘削の延長を求めたため下流側各村との対立が続く | |
1828 文政11 | 坂川の堀継ぎに対し反対運動が起きる |
1833 天保4 | 坂川の栗山までの堀継ぎ工事の測量が始まる ※ 坂川堀継ぎには利害の異なる下流側住民が測量を妨害、死傷者を出す事件となる |
1835 天保6 | 坂川堀継ぎの協定が取り交わされ工事が許可される |
1836 天保7 | 坂川が栗山村までつながる |
◆松龍寺観音堂と四萬六千日
同じく江戸中期、松戸宿二丁目(現:すくも稲荷付近)の田んぼに積まれた「すくも(=籾殻・もみがら)」の中から観音様が現れたとされ、のち天明4年(1784)に松龍寺観音堂に祀られたと伝えられる。
松龍寺で「四萬六千日」の行事が始まったのがこれ以降と考えられる。
観音経の一説に「観音の力を念ずれば雷たちまち退散する」とあり、赤くて種の多い実は雷除けになるという俗信から、観音様の縁日には「ほおずき市」「とうもろこし市」が立ったといわれる。品種改良前の昔のトウモロコシは今よりも実が赤かったという。
◆献灯まつり始まる
松龍寺の「とうもろこし市」は地元角町(かどちょう)の人々を中心に戦後も伝えられ、境内では盆踊りも行われていたが、平成中頃(2000年頃)には行事の担い手・後継者不足が深刻になっていた。
ちょうど同じ頃、坂川の改修工事が進み、地域の人々には川のある自然環境を大切にしようという機運が高まっていた。
伝統行事と河川愛護が両立できる行事にむけて地元の伝承を調べたところ、ご年配から「縁日には皆が『献灯』をして観音様に感謝した」という話を伺った。(観音堂にロウソクを並べたという)
→ 松龍寺境内の「四萬六千日献灯」はこの伝承を受け継いで復活したもの
坂川開削には数多くの苦労話や村同士の争いで亡くなった人の話などが伝わっている。
そこまでして郷土を水害から守ろうとした昔の人たちのおかげで現在ここに水辺の豊かな景観が残された街があることに感謝すべきだと考えた。
おりしも台風や水害を思い出す夏の盛り、お盆に近いこともあり、かつての『献灯』を「とうろう流し」や「あんどん」の形で復活することにした。
→ 灯りで鎮魂の意味を持つが仏事の作法(宗教由来)によらず参加者の自由意志で行う前提
◆献灯まつり開始
地域の伝承も尊重して新たな趣旨も加えた「献灯まつり」は、いわば「古くて新しい行事」といえる。
開催当初から、街の中に川の流れる風情と昔ながらの縁日、夜道に並ぶ灯りなどが来場者から想定以上の好評を得た。第1回平成18年(2006)の来場者数は両日で8000人。令和5年(2023)では両日で約3万人
◆当初の会場コンセプト
1)会場エリアの設定
上流(レンガ橋側)の「静」と下流(春雨橋側)の「動」の対比を
とうろう流し場は祈りに相応しく、流れる先は段々賑やかに
2)縁日の趣きと景観
出店者は実行委が貸与する「よしず屋台+電灯」を利用する
素人の出店も玄人も店舗の見た目は同じで風景の統一感が保てる
3)伝統行事の尊重
松龍寺観音堂前に献灯装飾を行う
四萬六千日の名物「とうもろこし市」は松龍寺参道で存続する